2011年11月10日
「薪」から「ガス」、そして「電気」に変わっても、炊きたてはウマイ。
自分がオッサンになったかどうかを試す時がきた。
いま二十歳くらいのヤツらに、失礼極まりない人生の教訓をダラダラと文句たらしく説教することができる。
例えば、
「オレ、マジでラッパー目指してるんす!」
とかいうベースボールキャップ斜め男に対して、
「どうやって?」
と聞き返してみたり、
「おまえ殺すぞ!」
と息巻いている酔っぱらいに、
「いいけど、免許証コピーさせて。」
と冷静に損害賠償を求めたりできるようになった。
これは、オッサンになったからこその行動である。経験が増えていくと、脳内で快感物質がほとばしる機会も減り、こんなもんかと思ってしまう。だけど、それは哀しいことではない。勘違いしないで欲しい。
位の高いお坊さんや、達磨大師に代表される悟りを啓いた人たちによれば、ただ座ってるだけで宇宙から地球を眺めることができたり、ちょっとした未来なんてカンタンに予測出来てしまったりするようになるらしいではないか。
即身仏のように、生きたまま神の領域まで精神を高めてしまうと、家庭における私の存在が危ういので、できる限り社会生活に溶け込んでるわけだが、

なんてこともある。
「急ぎすぎない」ことも、人生のペースとして必要なことがあるということに最近気づいて、自分に出来ることの限界をまず決めてから色々と行動するようになったような気がする。
適当に過ごせるような環境になったことは幸せなのかもしれないが、問題をすべて解決するだけの力量は私にはない。なので、出来る限りのことをやって、それで無理なら諦めようという潔さも身についたような気がする。
それは逆に捉えると、生きていくということに関して自信があるからなのかも知れない。もしかしたら利己的になってるのかもしれないが、我が身を傷つけてまで守れるのは家族とその周りと友人たち、お世話になってる人たちくらいだ。
世間では不幸なひとたちがたくさんいるけど、オレにはその人達を救う事はできないような気がする。テレビで見ただけで、北極クマが激減してるからといって二酸化炭素を減らそうと、あたらしい家電に買い換える財力も持ち合わせていない。
文明化した人類のほとんどは、まだまだ化石燃料に頼って生きていると思っている。
昔は、「もしこれが失敗したらオレは死ぬ。死んだも同然。生きてる意味が無い」くらいに思うことがあった。情熱なのか、バカなのかわからないが、そのために借金もしたりした。
今考えると意味不明。
カネを増やすための借金ならわかる。という感じ。自力でカネを稼ぐ方法って色々あるけど、実行するかしないかで結果に大きな差が出ることも経験した。自分じゃ到底かなわない、国家レベルの権力に抗うことはとても大変なことだということも身をもって知った。
そういうのを積み重ねることが楽しみになってるというのもあるかも知れない。色んなひとに迷惑をかけながら、自分の生き方のスピードをコントロール出来るようになりたいなと思う。
まだまだオッサンの見習いとして、オッサンであることを自覚しながらも、たぶん前向きに生きていられることを誰となく感謝しながら、30歳最後のブログおわり。
いま二十歳くらいのヤツらに、失礼極まりない人生の教訓をダラダラと文句たらしく説教することができる。
例えば、
「オレ、マジでラッパー目指してるんす!」
とかいうベースボールキャップ斜め男に対して、
「どうやって?」
と聞き返してみたり、
「おまえ殺すぞ!」
と息巻いている酔っぱらいに、
「いいけど、免許証コピーさせて。」
と冷静に損害賠償を求めたりできるようになった。
これは、オッサンになったからこその行動である。経験が増えていくと、脳内で快感物質がほとばしる機会も減り、こんなもんかと思ってしまう。だけど、それは哀しいことではない。勘違いしないで欲しい。
位の高いお坊さんや、達磨大師に代表される悟りを啓いた人たちによれば、ただ座ってるだけで宇宙から地球を眺めることができたり、ちょっとした未来なんてカンタンに予測出来てしまったりするようになるらしいではないか。
即身仏のように、生きたまま神の領域まで精神を高めてしまうと、家庭における私の存在が危ういので、できる限り社会生活に溶け込んでるわけだが、

2011/11/10 22:29:36
タッチインターフェイスの欠点は、入力方式。指をスライドさせて字を書くという動作にまだ心の底から慣れてない。オレはオッさんになった。もう立派なオッサンだ。楽なほうに逃げ道を探すのが得意になったよ。ゆっくりでいいことに気づいた。「醸し出す」の意味がよくわかるようになった。
タッチインターフェイスの欠点は、入力方式。指をスライドさせて字を書くという動作にまだ心の底から慣れてない。オレはオッさんになった。もう立派なオッサンだ。楽なほうに逃げ道を探すのが得意になったよ。ゆっくりでいいことに気づいた。「醸し出す」の意味がよくわかるようになった。
なんてこともある。
「急ぎすぎない」ことも、人生のペースとして必要なことがあるということに最近気づいて、自分に出来ることの限界をまず決めてから色々と行動するようになったような気がする。
適当に過ごせるような環境になったことは幸せなのかもしれないが、問題をすべて解決するだけの力量は私にはない。なので、出来る限りのことをやって、それで無理なら諦めようという潔さも身についたような気がする。
それは逆に捉えると、生きていくということに関して自信があるからなのかも知れない。もしかしたら利己的になってるのかもしれないが、我が身を傷つけてまで守れるのは家族とその周りと友人たち、お世話になってる人たちくらいだ。
世間では不幸なひとたちがたくさんいるけど、オレにはその人達を救う事はできないような気がする。テレビで見ただけで、北極クマが激減してるからといって二酸化炭素を減らそうと、あたらしい家電に買い換える財力も持ち合わせていない。
文明化した人類のほとんどは、まだまだ化石燃料に頼って生きていると思っている。
昔は、「もしこれが失敗したらオレは死ぬ。死んだも同然。生きてる意味が無い」くらいに思うことがあった。情熱なのか、バカなのかわからないが、そのために借金もしたりした。
今考えると意味不明。
カネを増やすための借金ならわかる。という感じ。自力でカネを稼ぐ方法って色々あるけど、実行するかしないかで結果に大きな差が出ることも経験した。自分じゃ到底かなわない、国家レベルの権力に抗うことはとても大変なことだということも身をもって知った。
そういうのを積み重ねることが楽しみになってるというのもあるかも知れない。色んなひとに迷惑をかけながら、自分の生き方のスピードをコントロール出来るようになりたいなと思う。
まだまだオッサンの見習いとして、オッサンであることを自覚しながらも、たぶん前向きに生きていられることを誰となく感謝しながら、30歳最後のブログおわり。
Posted by ニッポンのイナカ at
23:22
│Comments(0)